あおいいぬ

ツイッターより長い文

弱虫ペダル Re:GENERATIONを観てきました

 
タイトルの通り、弱虫ペダル Re: GENERATIONを観てきました。
 
放送当時は序盤しか追いかけてなかったのもあり、アニメで改めて一年生ウェルカムレースや追い出しレースやらを見返して大変感極まりべしゃべしゃに泣きました。
 
新世代の物語を観に行く為なのは勿論のこと、今回劇場に足を運んだ第一の目的はいろは坂、もっと絞ると手嶋vs真波を観ることでした(以下、この記事内で出る"いろは坂"は手嶋vs真波の話題に絞ったものとします)。
 
私は一番好きなキャラは真波山岳なのですが、原作を週刊で追い始めて初めてリアルタイムで推しがメインのレースを見たのも助けたのか、このいろは坂は非常にショックでした。
何度も読み返して当時考えていたことから少しの変化や発見はありながらも感じたショックはずっと引きずったままここまで来て、アニメでもリアルタイムではまともに向き合う事が出来なかった為視聴を止める手段の無い映画で観ることを心に誓い鑑賞してきたわけですが、やっぱり思うところがあるというのは変わらなかったです。
 
なので、このタイミングでいろは坂に対して思う部分についてしたためます。
先にも書いた通り、いろは坂に対してショックを受けた為非常にネガティブというか批判的な話になります。
以下の閲覧は自己責任でお願い致します。
 
 
 
いろは坂をざっくり一言で説明してしまうと「天才vs凡人」です。
天才に対してセンスも才能も無い凡人はどう挑むのか?
その問いに対する回答は「食らいつく為に努力する」「最後の最後まで諦めない」というところで、滅茶苦茶熱いと思うんですよ。
ただこれをこの二人でやる事が全く腑に落ちないんですよ。
 
手嶋純太は初登場からずっと自分の才能に限界を感じてその為に努力をしているキャラです。
しかし一年目では「頭を使った戦い方」と「青八木一と組むこと」で天才との差を埋めているところを見てせてくれました。
なので彼から根性論の話ばかり出てくるのに非常に違和感を覚えるのです。
 
彼の努力もその結果身につけた実力も本物です。
彼はそれを身につけているはずなのに作中では散々「平凡な走り」「才能もセンスも無い」と言われてしまっているので、読み手の私としては「それだけ努力しても天才と凡人の差は大きいんだ」と思い「その差をこれまで見せてきた頭脳戦で埋めてくれるはず」と考えていたので、いろは坂では一貫して「諦めずにただただ食らいつき続ける」という方法で随所随所で真波山岳と並んで走っている事実に戸惑ってしまうのです。
 
そして真波山岳については、彼のこれまでがすっぽり抜けてしまったかのような描かれ方をしてると思います。
先程述べた手嶋純太の走りについての言及で圧倒的な差があるのだろうと思っているところに千切っては追いつき並んでを繰り返し、限界の手嶋純太に対し余裕かつその様子すら楽しんでいる様子の真波山岳を見てると、舐めプのように見えてしまいます。
 
そもそもそのように敵を泳がせて楽しむタイプだったりそういう事実がそこで出されるのならともかくですが、真波山岳は一年目の敗北し悔しいと感じた為次は必ず勝つと決意したという前提があるのでそもそもそのようなタイプだったとかそのような次元で語るべき話では無いと思うのです。
 
諦めない手嶋純太に対し「こんなタイプは初めてだから」と興味を向けそこでようやく彼の望むギリギリの勝負を持ちかけ全開を出しますが、結果チェーンが外れ手嶋純太に追い抜かれてしまうのはエースクライマーとしてどうかと思います。
完全に調子に乗ってるようにしか見えないですし、「あの時感じた悔しさや勝利の為に苦手な平坦もやっていた時の気持ちはどこに行ってしまったの?」と怒りを感じざるを得ません。
 
物語的には実力才能差のある手嶋純太と真波山岳がまともに勝負したら(これを言うと手嶋純太がずっと全力なのに対しそれまで真波山岳はまともに全力を出していなかったから舐めプにしか見えないどころか完全に舐めプなんですけれど)手嶋純太がどんどん引き離されて終わり、となる予想が容易である為盛り上がりに欠けてしまうのである程度のエッセンスや調整は必要なのだと考えましたが、「あの時自分が坂道くんを助けなければ」と自責の念に駆られる程に敗北を悔やんだ真波山岳がエースクライマーとしての務めを果たすべき場面の重みを理解せずに舐めプするのは納得がいかないのです。
しかも結果的に「待ってもらえたから勝てた」という形での勝利ですし。全然不運を自分の力で跳ね除けてないです。
 
これまでキャラが重ねてきた前提が無かったかのように感じてしまうのがいろは坂に対するショックの大部分です。
故にこの二人でこのストーリーをやる事が全く腑に落ちてないんだと思います。
 
そして最後に、先に出ました「待ってもらえたから勝てた」のいわゆるティーブレイクについてです。
ここはかなり意見が分かれる話になると思うのですが私は待ったことに納得がいってないです。
 
確かにあそこで待ったのは手嶋純太らしいと思います。
夢にまでみたインターハイで自力でトップ争いに食い込んでいる中、ラッキーで勝てる状況になった際「自力で勝たなきゃ意味が無い」と感じそうだと思います。
 
そういう個人的な感情を優先させるのも弱虫ペダルの熱さのひとつだと思っていますが、彼個人ではなく総北というチームとして、そして彼が総北のキャプテンという立場から考えると、スプリントを箱学に獲られ既に前年度優勝チームとしての立場が追い詰められているところに確実に掴めそうなチャンスがあったら掴んで欲しかった、と思います。
キャプテンとしての務めが僅差で負けても「あの真波にあそこまで食らいついて、なっぱり手嶋さんは凄い!」と思われるのは何だか虚しく感じてしまいます。
 
この後生きていく中で二度と無いかもしれない状況に後悔や鬱屈としたものを残したくなかった気持ちはわかるのですが、だとしても手嶋純太にあの機会を生かしてもらいたかったと思ってしまうのです。
 
 
以上がいろは坂に対して感じているモヤモヤの大部分です。
散々言っといてという感じですが、ずっと考えてきたことを文字にまとめて起こして清算出来たらと思いましたが、なかなかすっぱり切り捨てるのは難しいみたいです。
本編でいろは坂に対する言及が出たのでこれ以上のフォローは望めないですし、自分の中で感情がどんどん薄れるか完全に許せる気持ちになるしか無いのかもしれないです(いろは坂はそもそもフォローも何もフォローを必要とする話では無い良い話って雰囲気ですが)。
 
今後天才と凡人、才能と努力というお話を他の創作物で見た際毎度いろは坂を思い出してしまうんでしょうが、それはもうさだめとして受け入れていきたいと思います。
 
そして総集編映画恒例の描き下ろしパートですが、保育園みたいで可愛かったです。
 
終わり。